協和発酵バイオの歴史・功績

協和発酵バイオの歴史・功績

1936年にまでさかのぼる
協和発酵バイオの歴史

「協和発酵バイオ」の起源は、1936(昭和11)年に設立された「協和会」と、その研究機関「協和化学研究所」までさかのぼります。これらの運営は1945(昭和20)年設立の「協和産業」に受け継がれ、1949(昭和24)年には第二会社「協和発酵工業」へ生まれ変わりました。「協和発酵工業」は、医薬、バイオケミカル、食品、化学品等、さまざまな事業をおこなっていました。2008(平成20)年に、「協和発酵工業」の医薬品事業は「キリンファーマ」と資本提携し、「協和発酵キリン」が発足。その際バイオケミカル事業を分社化して誕生したのが、当社「協和発酵バイオ」です。

旧本社大手町ビルにて、木下氏研究風景

旧本社大手町ビルにて、木下氏研究風景

国家的課題だったタンパク質量産の研究

1946(昭和21)年、当社の前身である「協和産業」に、1人の研究員が入社しました。後にグルタミン酸発酵を発明し、やがて社長となる木下祝郎です。
木下研究員は、当時の社長・加藤辨三郎から、3つのテーマを与えられます。ペニシリン、ストレプトマイシン、そしてタンパク質量産についての研究でした。

加藤社長の考えは、こうです。「日本人の体格が欧米人に比べて貧弱なのは、食物中のタンパク質が少ないのが一因で、必ずしも遺伝的理由ばかりではない。良質のタンパク質を量産して供給できるようにしたい」。木下研究員はその雄大な構想に驚き、深い感動に打たれたといいます。

「タンパク質をたくさんつくっても採算が取れそうにない。いっそタンパク質の構成成分であるアミノ酸を量産しよう」。木下研究員は、微生物からアミノ酸を生産することを考えました。当時は小麦や大豆からタンパク質を分離・分解してアミノ酸をつくる「抽出法」が主流でしたが、コストが高いのが欠点だったのです。
そして1956(昭和31)年、発酵工程によりアミノ酸の1つである「グルタミン酸」をつくり出す菌を発見。アミノ酸の量産に世界で初めて成功しました。

グルタミン生産菌(コリネバクテリウム・グルタミクム)

グルタミン生産菌
(コリネバクテリウム・グルタミクム)

1978年~84年には社長も務めた木下祝郎

1978年~84年には社長も務めた木下祝郎

新風を巻き起こしたアミノ酸発酵

「発酵法」の発明は、食品工業界に革命を起こしました。また研究を重ねた結果、グルタミン酸のみならず、リジン、オルニチン、アルギニン、スレオニン、バリン、チロシンほか、多くのアミノ酸を発酵法により量産化することに成功。工業用途だけにとどまらず、食品、飼料畜産や医療輸液、医薬品中間原料、高分子素材、ファインケミカル原料などの分野においても、大きな貢献を果たしました。
「協和発酵工業」は、「アミノ酸発酵」という一大事業分野を確立した、バイオテクノロジーのパイオニアだったのです。

1949(昭和24)年に発足した「協和発酵工業」が当社の起源

1949(昭和24)年に発足した
「協和発酵工業」が当社の起源

PAGE TOP